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フルート奏者 宮前丈明のページです
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8月13日 コンベンション初日
ゆっくり起きてハドソン川沿いのNew Jersey (NJ) Transit North Bergen Park and Rideへ向かう。車で15分。ここからNJ transit 320番のバスがマンハッタンへ向けて出発します。駐車料金+往復バス代で$8.25也。バスは平日と土曜は10-15分おき、日曜は30分おきに出ていてマンハッタンのターミナルPort Authority NYまで15分から25分。

manhattan.JPGバスの車窓からマンハッタンが見える







PortAuthorityNYC.JPGPort Authoriry NY バスターミナル。NJからの多くのバスがここに発着する。







このバスターミナルからコンベンションの会場まで徒歩10分。
NYCtown1.JPG

とにかく東京のように人が多い。交通は、東京よりもオーガナイズされていないので、交差点では、人々は赤信号でも横断しようとし、車は交差点の向こうが渋滞でも平気で交差点の中央で立ち往生する。タイのバンコクよりもましかもしれないけれど、交差点はけっこう怖い。


Venue.JPGコンベンション会場のMarriott Marquis New York。Times Squareの一角にある。まずは会場内にてregistrationをすませて、フルートメーカーのexhibition会場をうろうろ。何人かの知り合いと遭遇し、挨拶をしたあと、昼食のため外へ。





昼食は、Sakae-Sushiという回転寿司屋を目指してグランドセントラル駅方面へ行ったものの、既に店を閉めて撤退したようで、がっかり。適当に歩いてAZUSAという日本料理屋を見つけ、ここのランチを食べる。その後リハのために再び会場へ。

rehearsal.JPG久々の再会の人、このまえDCで一緒に仕事した人、初対面の人、などと挨拶を交わし、リハ。






この後、BeckiとGabrielaと一緒にJapanese Deliという名の日本食材店に行きました。30分くらい歩いたかなあ。今晩はホテルに戻って自分の部屋で夕食をとることに決めて、ここで夕食用の寿司と明日の朝食のおにぎりを買いました。

この日は初日ということもあり、かなり疲れていたので、会場のホテルに宿泊しているBeckiらと別れてバスターミナルへ。帰りのバスのゲートを間違えているのに気付かずに列に並んでしまい、バスに乗り込む直前になって「あれ?これってNorth Bergenへ行かないの???」と近くの人に聞いたら、このゲートからそのバスが出るのは午後10時以降だ、と言う。はてさて、案内板の下のほうに、ちゃんと書いてあった。あわてて正しいゲートへ向かう。幸いにもすぐにバスに乗れた。

NJ側のバス停に着いて、車でホテルへ向かう。道を間違えて遠回りしたけれど、とにかくホテルには着いた。Japanese Deliのお寿司はまあまあおいしかった。最近は長時間歩くことがなかったためか、思った以上に疲れました。
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衆院選が公示されましたね。在外邦人も小選挙区、比例区、いずれも投票できるようになりました。在外選挙人登録は昨年済ませてあるので、投票します。というか、「投票を試みます」と言ったほうが正しいかもしれません。

外国在住の日本人は、
(1)在外公館(領事館)での投票
(2)郵便による投票
(3)日本国内における投票
のうち1つを選べますが、私は日本には帰国しませんし、領事館が近くにないので、(2)の選択肢しかありません。(2)の場合は、

(a)投票用紙請求用紙に記入し、これを本籍地の選挙管理委員会に郵送

(b)選挙管理委員会が投票用紙を私のアメリカの住所に送付

(c)投票用紙に記入して、本籍地の選挙管理委員会に返送

このプロセスが、日本国内の投票日8月30日を期限として完了しなければならず、郵送の日程を考えるとかなり前もって投票用紙請求をしておかないといけないようです。このことに気付いたのが8月9日。投票用紙請求書と在外選挙人登録証原本を8月10日にエアメールにて送付しました。さて、(b)はいつになるのか、それが問題ですので、今後の成り行きを当ブログにて報告していきます。

投票行為は権利の行使で、そのための道筋がちゃんとあることは重要なことだけれども、これは相当に時間のかかる手順です。郵送するにしても公示日のあたりから投票準備しても投票に間に合うような手順を作ったほうが良いのではないか?たとえば在外公館とのやりとりで投票用紙を入手できるようにならないか?以上が要望です。

8月12日
昼に車で出発。NYCは3回目で、前回はQueens地区のホテルに泊まってNY地下鉄で移動しました。地下鉄は片道$2.25で安いけれど、ホテルが高かった。今回は4泊するので、宿泊地区の治安がまあまあ良くて、かつ宿泊と交通費がトータルで安くなる方法を調べて実行。ニュージャージー州(NJ)のNewark空港近くのHoward Johnson Hotelに決定。

HowardJohnson.JPG夕刻、ホテルに着く。1泊$45、駐車は1日$15。部屋は2ベッドで広く、冷蔵庫もコーヒーメーカーもドライヤーもちゃんとある。Wireless Internetもできる。空港が近いのに遮音がいまいちでしたが、睡眠を妨害されることはなかったので全体として満足のいく滞在でした。




まだ時間があったので、ハドソン川近くの大きな日本食料品店ミツワへ行き、お目当ての山頭火のラーメンをいただく。昨年末はシカゴのミツワでも食べたけれど、やっぱりおいしい。自分の住んでいる街には日本の普通のラーメンを食べさせてくれる店がないので、麺喰い党の私としては、大都市に来るといつもラーメン屋巡りを楽しみにしています。ビールは沢山持参してきたので、おつまみと翌日の朝食を買ってホテルへ。
楽な身体バランスを用いて美しく響く音を得るためのヒント集です。それぞれの身体のパーツに関する事実(あるいは事実の推定)、そのような状態に持っていくためのヒント集で構成されています。英語版はこれから作成します。これは一般論なので、実際に生徒さんに対してアドバイスする時の言葉はもっと多様です。既に私のレッスンを受けられた生徒さんであれば、先日の音のコンセプトの記事中の表と合わせて、当該アドバイスのねらいや位置づけが理解しやすいかな、と思います。ですので、一部の生徒さんには既にお配りしてありますが、すべての生徒さんにとって、このような「まとめの表」が必要であるとは限りませんので、あれば有効だとこちらで判断させていただいた場合に限って配布しています。

また、これらのひとつひとつについて、事実と証拠に基づいた論考を含めますと、本が1冊書けますので、いずれ指導者向けに「フルート演奏の技術論」として出版したいと思い、準備しています。これらの論考はいつも頭の中にあるのですが、きちんと整理し文字として吐き出しておかないと、そのうちボケてしまいそう(笑)ですので、いつになることやらわかりませんが、必ずやりとげたいと思っています。
 

端的に言えば音楽的な音のためのコンセプトとして、自分で考えていくために、また指導の基本とするために1枚の紙にまとめたものです。

ひとことで多彩な音色とか多彩な表現といっても、1つの楽器でオーケストラのような、物理的な意味で多種類の音色、音質が出せるわけではありませんし、歌手が地声の音質を音楽に使わないのと同じように、フルートから出る音なら何でも音楽に使えるというのはナンセンスです。人間の耳が、1つの楽器から出てくる音の多彩さを認識するのは音がどのような状態なのか、多彩な表現を感じるときの音とはどのような音なのか、と観察していくことが、音楽的な音を作っていくための大いなるヒントとなります。

大きく分けて2種の音質、子音と母音の関係性、ヴィブラート、この3要因の相補増幅を促す操作によって、多彩な音色と音質であると認知され、されにそれらがフレーズの中で適切に用いられることによって多彩な表現が創られ、それが認知される、というコンセプトに立つのが私自身の音の発展のさせ方です。

ここに貼った流れ図のみでは説明不足であることは明らかです。今後、奏法についての様々な考察を書き込むことになると思いますが、その過程で折に触れて説明していくつもりです。
a352f745.JPGリハーサル風景その1







22b3a697.JPGリハーサル風景その2








1bb612f3.JPGリハの合間に周囲を散策すると、古びたアパートメントがあって、人が住んでいる気配。
下がトンネルのようになっていて通り抜けできる。その脇に妙なボードがかかっているので近づいてみる。






26c5c979.JPGなんとここには、マルセル先生の生没年の記載が。このアパートメントで生まれた、ということなのだろうか?






de82bcd4.JPG役所は工事中とのことで、いまはこの建物に村役場が入っている。この建物の前はちょっとした広場になっています。






45c475fe.JPG週末には広場でマーケットが立ち、人々でにぎわう。この日、コンサートの宣伝
にと、仲間たちで野外演奏しました。おかげで当日は満員御礼でした。
Pizzaのカートが来ていたので、昼食にと行ってみると、主人は英語を話したので、いろいろと会話を交わしました。なんでも、イエローワインがこの地域の特産で、アメリカにはミシガン州とあと1州にしか輸出していないとか何とか。で、イエローワインは通常は料理酒として使うのだけれど、「これはそのまま飲んでもうまいよ」ということで、tastingさせてもらう。おいしかった。このイエローワインを使ったPizzaを食べました。うーん、昔イタリアで食べたピザよりもおいしかった。

ca484374.JPGコンサート会場である、村唯一の教会。










115786ce.JPGコンサート当日、ドレスリハーサルの休憩中です。教会の中です。写っていませんが、うしろのほうは奥行きが深くて、椅子がずらーっと並んでいます。







00e55cd7.jpgコンサートプログラム 表紙と最後のページ
2008年7月12日 夜8時開演







0b2b63aa.jpg演奏曲目です。たくさんのお客さんに来場いただき、熱気にあふれた、そして思い出深いコンサートとなりました。ジャネット未亡人も参加されました。








c5678012.JPG本番の前、教会の上に上らせていただきました。











教会の上から眺めたサンタムールの風景です。
9a51db9c.JPG7d999ab3.JPG2bf35747.JPG








コンサート後はHotel du Commerceで打ち上げをして、翌7月13日、ローカル線でSt Amour からBourg-en-Bresse、TGVでパリ リヨン駅、バスでシャルル ドゴール空港へ。St Amourでは、切符の販売機が壊れており、そのまま乗車しましたが、乗務員が切符のチェックをする気もなく(というか、別に1駅だから気にしないよ、みたいな雰囲気だった)、そのままBourg en Bresseで下車、TGVの乗車券は持っていたので、なんのチェックもなしにTGVに乗車しました。なんか、フランスのローカル線て、かなりいいかげんなんだそうです。シャルル ドゴール空港でのセキュリティチェックがかなり厳しく2重にも3重にもチェックを受けて、フライト2時間前に空港に到着したのにゲートに到達するころにはboardingが始まっていました。13日の夜、無事アメリカに到着し、今回の旅を終えたのでした。
昨年夏、フランスのサンタムールで行われたルイ・モイーズ メモリアルコンサートの紹介です。

2008年7月8日夜アメリカ発 9日午前パリ着。当時はリーマンショックの前、ユーロが高騰していた時期。しぶしぶ空港の銀行でドルをユーロに交換。エールフランス航空運営のリムジンバスでパリ・リヨン駅Gare de Lyonへ。バスの運転手は「一応」英語はしゃべる。フランス人は、知っていても英語をしゃべらないと聞いていたので戦々恐々。
2e91756e.JPG
Gare de Lyon






e93e2e04.JPGここからTGVに乗って南フランスのブールカンブレス駅Bourg-en-Bresseへ。







Bourg-en-Bresseに着いたらローカル線に乗るつもりだったけれど、リハに間に合わないかもしれないということで、タクシーでジュラ県サンタムール村St Amour, Jura Departmentへ向かう。タクシーの運転手は、英語は全然理解できないらしかった。サンタムールに着いたらリハ会場とアナウンスされたところへ行く。でもドアが閉まっていてどうにもならない。近所の人が話しかけてくれるけれど、言っていることが全然わからない(汗)、先着の仲間が宿泊しているホテルの名前を出したら、ああそれは近所だよということで、そのホテルHotel du Commerceへ案内してもらう。1人だけ英語のわかる料理人がいるという。その彼と話した。「ああ、彼らならxxxxでリハーサルしているので、ここをこう行って、ああ行って」と教えてくれる。言われた通り、行って見る。でも、やはりよくわからないし、音も聞こえてこない。。。もう一度ホテルへ戻る。埒があかないから、自分が宿泊予定のホテルへ荷物を預けてから出直すというと、そのホテルの場所を教えてくれた。ローカル線の駅の近くだという。
5dd217e1.JPG
ホテルに着きました。Hotel de la Gare 文字通り、「駅のホテル」ということなんだそうな。経営者はまったく英語を話さない。公衆電話あるか?という質問をした。かろうじて意味を理解し、「もうこの村にはないよ」みたいな返答、「じゃあホテルの電話使わせてくれ、コーリングカードあるから」と伝えてみたけれど、通じないのか、宿の電話を使って欲しくなくて、はぐらかされたのか。深く考えている暇はない。


しかたなく、楽器を持ってHotel du Commerceへ戻る。すると、別の人が対応して、私にメッセージがあるという。メッセージカードには、まさに先着の仲間が書いてくれた、リハ会場への詳しい道順が!!!「あれ、さっきの彼、このメッセージをあなたに見せなかったの?」「いいえ、見せてもらってないよ」、、、これで3時間無駄にしたけれど、しょうがない。さて、リハの場所に着いた。
22aca480.JPGなんと、Marcel Moyseの名を冠した部屋だ。地元のバンド団体の練習部屋らしい。




部屋の中に入ってみると、、、、

6a2e2c7f.JPGなんと、マルセル先生の写真と絵が。地元で深く尊敬されていることが伺えます。






やっとたどり着き、仲間との再会を果たしましたが、この日はもうリハは終了ということで、せっかくタクシーに大枚はたいて来ましたが、残念賞。ホテルに戻って夕食。安いホテルだけれど、経営者の女主人は料理がすごくうまい。ブルーチーズも、他よりも断然おいしい。部屋にシャワーがなかったのは少し当てがはずれてしまいましたが、こちらがフランス語がしゃべれなくてもきちんとサービスしてくれましたし、本当に満足のゆくステイでした。スイスから来たGabrielaがいっしょの宿でしたので、彼女がフランス語でいろいろとフォローしてくれて助かりました。(続く)
ルイ先生の最後のマスタークラス、ルイ先生が生前に出演した最後のコンサートについて紹介します。

マスタークラス
2007年7月12日から21日、ヴァーモント州モンペリエのルイ先生の自宅にて

コンサート
2007年7月21日夜 モンペリエ ユニタリアンチャーチにて

LMoyse1.JPG家の全景の写真を撮っていないので残念ですが、自然に囲まれた数軒の住宅のはずれにルイ先生の家があります。車庫の中を改装してピアノを置き、スタジオにしています。
どの写真もクリックで拡大します。






LMoyse20072.JPGレッスン中です。








4c84e7b5.JPG休憩中です。








e0a8f840.JPGクラスの集合写真をとるために外でセッティング。
Janet, Aspin(犬), Louis







bd0384f5.JPG全員集合








04cbf0d4.JPGコンサートのリハを自宅で








59d1b888.JPGコンサート会場 ドレスリハーサル前のひとコマ








963408c5.jpgコンサートチラシ










LMoyse9.JPG本番の指揮はMr. Kenichi Uedaがバックアップ







コンサート後、ルイ先生の自宅にてレセプション、解散となりました。クラスもコンサートも、忘れることのできない一生の宝物です。

Masterclassは全生徒をレベルごとに3-4人の10のグループに分け、私はgroup6, 9,10の3クラス担当しました。それぞれ4人、3人、3人の生徒が1時間単位のマスタークラスを毎日受講します。個人レッスンを同じグループの他の生徒が聴講します。ここでは生徒の親やteacher traineeも聴講します。アメリカでは個人レッスンと言えば完全に1対1のレッスンを指し、オープンクラスではなく原則他の生徒が自由に聴講することはありませんので、他の生徒のレッスンを見て聞いて、それを自分の演奏に活かすことを考える良い機会なのです。日本でいえば「他人のふり見て我がふり直せ」なのですが、私の理解では普段オープンクラスが比較的受け入れられている日本やヨーロッパに比べて、アメリカではそういう機会は少ないかもしれませんね。

さてMasterclass 6は2巻、3巻の生徒で、大人のLさん、小学生のJ君、Oちゃん、Cちゃん。
Lさんは3巻、グルックのオルフェ。遅い曲でリズムと格闘していました。
何か音楽的な問題がある場合は、イメージの問題、身体動作の問題、耳(音の聞きかた)の問題、の複合なので、個別にピックしてさらうと解決する場合、いくつかの要因をまとめてさらうアイデアで解決する場合があります。

リズム感に問題があるように思われる場合、
1)イメージがきちんと定着していない
当該部分を歌ってもらいながら矯正する

2)イメージが正しくても身体がついていかない
息、舌、指、その他の連携を、問題のある場所をピックして粘り強くさらっていく

3)自分の出した音は耳には入っているけれど、実は聞こえていない
「この音の余韻が聞こえたら次へ行くんだよ」というように具体的な音の聞きかたをアドバイス
これはMasterclass 9の生徒で著効だった(このクラスについては後述)。

4)音が響いていない、楽器が鳴っていない (支えられた息で吹いていない)
細かいデタシェが続く場所、アフタクトがスタッカートで次の音のタイミングがとれない場合はこれが多い。バッハの組曲2番ロンドの8分音符とか、ビゼーのアルルの女のメヌエット中間部の16分音符とか。結果、タンギングも音自体も上滑りになって、どんどんあわてて先に行ってしまいます。この場合、走らないで、と言ったところで根本解決にならないんですね。Masterclass9でしつこくやりましたので後述です。これ、意外に忘れられがちかもしれません。

Lさんの場合は1)と2)をしつこくやって、かなり良くなりました。ピアノ伴奏はほとんど16分音符で規則的に流れていってくれるので、頭の中では拍子をカウントするのではなく、背景にある和声やフレージングも含めてピアノ伴奏を大雑把で良いから覚えて、その上に自分の演奏を「乗せる」というイメージ、装飾音やアポージャトゥーラのタイミングを何回も歌ったあと、当該部分の息、舌、指の連携を何度もさらう、というやり方でした。

Cちゃんは2巻、バッハ組曲2番ポロネーズ前半(Doubleなし)部分。暗譜で吹いている姿勢が良いね、と言ったら、「だって去年、先生がこうしろって言ったよね!」、、、おお、そうだった、、去年のSAGWA2008でも彼女を教えたんでした。。。曲の中ではフォルテとピアノのコントラストをきちんとやること、音に関しては、唇を無理に緊張させてはいないものの音が上ずり気味だったので、喉のバランスについての指示を出すと、すぐに音がよくなる。聴講している人にもよくわかる。いつも苦労しているのは、ほんの少しのアドバイスでものすごく音が良くなることがあっても、それを定着させることが難しいということですね。まだまだ経験とアイデアが必要だと実感します。でもCちゃん、コンサートではこの曲、立派に吹きました。レッスンを聴講していたtraineeから、「Cちゃん、ちゃんと言われた通りに吹いていて感心した」との感想をいただきました。

J君、Oちゃん、2人ともU字管ですが、もう3巻をさらっています。Oちゃんは3巻のいろいろな曲を吹いてくれました。開放的な音を出すこと、ユモレスクの最初で、リズムに乗ってテンポルバートする練習などをしました。J君はマスタークラス以外にも時間外レッスンも受けてくれましたので、道化のセレナーデのダブルタンギングの練習のしかたを詳しく、トナリゼーションを使って響く音についてのアドバイス、などをしました。


Play In のクラスでは、生徒全員が、会場であるOld Presbyterian Meeting Room 地下のfellowship hallに集まって、グループレッスンをしながら金曜日夕方のコンサートに向けての練習をしました。これは4人のguest faculty全員が担当です。その場の流れや扱う曲のレベルによって、誰が主に担当して誰が補佐するかというのがありますが、そのへんは結構「あうんの呼吸」みたいなもので進められていきます。生徒全員なので、それこそ1巻はじめたばかりの生徒から11巻のMozart のコンチェルト終わった人までいます。U 字管D管の5歳の生徒から来年は大学という生徒までいるので大変です。大人の生徒さんも参加しています。上級者の曲をやっているときは、吹けない生徒は座って待っていてもらうのですが、待っているときのお行儀にも目を配りながら、あまり長時間待たせないように、そして演奏はTuttiが基本ですが簡単な曲は輪唱のようなゲームをしたり、ハーモニーを上級生に付けさせたり、楽しみながら、かつ、音楽表現上の練習もきちんとして、、、というようなことを45分間やります。参加生徒には数ヶ月前に、Challenge Listといって、このPlay Inクラスのために暗譜してくる曲をあらかじめ送り、準備してきてもらいますので、クラスは基本的に暗譜で進められます。そのListの曲を練習しながら、あれこれと生徒と話し合いながら10数曲選択して、金曜日夕方のコンサートに臨みます。


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自己紹介:
フルート奏者
フルート指導者(Suzuki Method and non Suzuki)
北米スズキ協会SAA認定指導者
米国の某地方都市に在住
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